アメリカ便り23:家庭医療研修を終えて考える日本の医療(2006年6月)
皆さん、こんにちは。ピッツバーグの山前です。
とうとう今回でピッツバーグからのアメリカ便りは終わりです。次回からはホノルルからお届けします。
卒業を目前にした現在、最後のチーフレジデントをしています。
最後くらいは楽なローテーションで引越しに準備をかけたかったのですが、とても忙しく、友人たちに手伝ってもらって引越し準備を進めています。
3年前に渡米してから卒業まで、今から振り返るとあっという間でした。最初の1年は英語との戦いだったと言えるでしょう。もちろん今でも英語には超えられない壁がありますが、以前よりは壁は低くなってきています。これ以上英語は上達しなくても何とかなると開き直ることができたとも言えるかもしれません。
2年目は一気に責任が増し、忙しい年でした。日本での経験があるからこそ何とか乗り越えましたが、私の本当の卒後2年目(10年前!)ではとても出来なかったでしょう。
3年目は卒業を前にローテーションも自由に組め、当直も無く、公私ともに充実した年でした。アメリカという国と患者さんたちには本当に感謝しています。いくら感謝しても感謝しきれないくらいです。私たちのような外国出身で外国の医学校を卒業した医師達に教育の機会を与え、専門職に就かせてくれくれるのですから。一時、アメリカ以外での医業活動の可能性について調べたことがありますが、この国ほど外国人に門戸を開いている国は有りませんでした(日本は外国の医学校出身の医師にかなり門戸の狭い国の一つです)。
この3年間、常に現在学んでいる事をいかに日本で活用できるかを考えていました。
しかし結局3年間で分かったことは、最高の医療をするにはお金がかかると言うことです。
一人一人の患者さんに十分時間を割き、病気になった時ばかりでなく、健康を維持する事に重きを置くアメリカの家庭医療を日本ではそのままコピーすることが残念ながら困難なのです。
日本では医師に対する報酬が相対的に低いために開業医は自分の生活のためにかなりの人数の患者さんを診ないといけません。必然的に診察時間は短くなり医療サービスの質を保つのは容易なことではありません。
では逆にアメリカ式に1日20人程度の患者さんを完全予約制で診ていると日本では赤字経営となってしまいます。患者さんからは医師になかなか会えないと不平が出るでしょう。
もちろんアメリカにもこの異常なほどの高額な医療費のために財産を失う人もいます。また保険すら買えない人が4500万人以上もいます。つまり、世の中に最高の医療システムは存在しないということなのです。
厚生労働省は1970年代に各県一医学部政策を採り、医師不足を解消しようとしました。
90年代になると医師過剰時代と呼ばれ、医学部の定員を減らし続けました。そして今急に医師不足が問題になっています。
国はこれから何年かは医師(医学部生)を増やす予定です。しかし同時に医療費は削減しようとしているのです。よりよい医療を国民が求めるのなら、国民が医療にお金がかかることを許容し、医療費削減という矛盾した政策を方向転換させる必要があるのではないかと考えています。
今回はピッツバーグからは最後になりますので日頃考えていることを脈絡もなく書いてみました。
次回の便りはハワイからになりますので皆様により楽しんで読んで頂ける原稿をお届け出来るのではないかと期待しております。
山前浩一郎
卒業式で同級生と。僕はハワイ大学に行くのでレイを掛けてもらいました。