やまさきファミリークリニック 院長ブログ

尼崎市のやまさきファミリークリニック – 内科・老年内科・糖尿病内科・小児科・アンチエイジング・渡航前ワクチン/英文診断書・治験

アメリカ便り18 米国臨床留学 家庭医療@ピッツバーグ大学

2014年8月17日 から Yamasaki.K | 0件のコメント

アメリカだより18:身近になった中東問題 (2006年8月)

 

皆さん、こんにちは。ピッツバーグの山前です。

いよいよ7月から最終学年である3年目の研修医となりました。
1学年上級の先輩達は卒業後それぞれチーフレジデントとして残る者あり、フェローとして教える側として残る者あり、多くはグループプラクティスの一員として開業をし、またある日本人医師は他の州立大学の大学教員となりました。皆自分の道を歩み始めたのです。
同時に7月から新研修医が入ってきました。皆戸惑いながらも着実に成長しているのがたったの2ヶ月で分かります。
僕自身も、より指導者としての責任が増え、インターンを指導しながら自分も成長しているのだなと実感させられます。

さて、話は変わりますが、最近のトップニュースといえばイスラエルとレバノンの戦闘ですね。
今日は医学とは関係なく、ものの見方について。

日本にいた時は正直言うと中東のニュースにはあまり興味がありませんでした。しかし渡米後それは大きく変化しました。
と言うのも研修医には中東から来る者がかなり多いからです。
同期にもレバノン、シリア出身の者がいますし、後輩にもレバノン出身が2人います。また、先月ローテートした精神科ではフェローがレバノン出身でした。そうなると中東問題は他人事ではありません。

ある女性研修医は、実家がイスラエルの爆撃のあった場所からわずか数ブロックしか離れていないと嘆き、真っ赤な目をしていました。一晩中電話をかけていたが繋がらなかったということです。その後家族の無事が確認できたのは不幸中の幸いでした。
ある研修医の家族は攻撃を受けない北部に避難したとのこと。国のインフラが30年前に逆戻りだと言っていました。
またあるフェローはアメリカで結婚し、自国であるレバノンで挙式を上げる準備のために奥様が一時期帰国中に戦闘が始まってしまい、出国できなくなってしまったと青い顔をしていました。2週間後にようやく陸路でヨルダンに避難できたと安心していました。

当然アメリカ人も含め皆武力衝突は反対です。ただ興味深いのはレバノン(ヒズボラーではないです、念のため)への同情的な意見は良く聞かれるのですが、イスラエルへの非難はほとんど聞きません。
ピッツバーグはもともとイスラエル人が多い街で、ピッツバーグ大学医療センターにも多くのイスラエル系アメリカ人医師が働いています。米国ならではの配慮なのかもしれません。

中東問題は複雑で、第三者からするとどちらの言い分も正しいような気もしてきます…。

山前浩一郎

Graduation Party

家庭医療研修プログラム一期上級の卒業パーティー。指導教官全員が壇上で出し物をしています。

アメリカ便り17 米国臨床留学 家庭医療@ピッツバーグ大学

2014年8月16日 から Yamasaki.K | 0件のコメント

皆さんこんにちは。
今回の話はナイトフロート。なんだかコーヒーフロートみたいな名前ですがところがどっこい、一番しんどい研修です。フロートとはフワフワ漂う、っていう意味ですがナイトフロートは夜間病院中を行ったり来たり漂っている(本当は駆け巡っているのですが)人、という意味なんです。

 

アメリカだより17:二度としたくないナイトフロート(2006年6月)

 

皆さん、こんにちは。ピッツバーグの山前です。

この原稿を書いているのは6月の中旬です。早いもので米国で研修を開始して2年が過ぎました。あと1年で家庭医療の研修は終了。その後皆開業もしくは、フェローとなりさらなる専門分野のトレーニングを行います。昨日最後の当直を終えました。3年になると当直が無くなるのでかなり体力的に楽になります。

今回は日本の研修システムには無いローテーションのお話しをします。それはナイトフロートと言い、夜間だけ病院中を駆け回るローテーションです。
アメリカでは多くの研修病院がこのシステムを取り入れているのですが、日本では馴染みがありません。私の研修している病院では当直は夕方の5時から夜9時半までです。4時間半の間にひたすらERから入院治療が必要な患者さんを入院させます。その後はナイトフロートに申し送りをして帰宅するのです。

午後9時半から翌朝の8時まではナイトフロートが入院、病棟患者の管理、外来患者さんからの電話相談、全てを引き受けます。もちろん、全て1人で行います。病院には自分以外家庭医療の医師はいません。
当然、昼夜逆転しますし、週に2回午前中の外来がありますから、皆から最も嫌われているローテーションです。ひどい時になりますと、30分間に4人の入院患者をERから渡され、その間に病棟患者さんが急変、といった事が起こるのです。とても一人で裁ききれないと逃げたくなりますが、やるしかないのです。
4週間の研修期間が終わると皆疲れ切ってしまうのは当然のことでしょう。

2年目の研修医にここまで責任の重い仕事をさせることは日本ではあり得ないと思います。しかし、ここアメリカではフェローを含めて研修を卒業すると皆開業です。徐々に現実の社会に慣れる様トレーニングされているのだと実感させられます。ここにアメリカの研修の醍醐味があります。
学年が上がるに連れ到達目標も上げられ、卒業と同時に一定レベルの医師が排出される。この当たり前の職業訓練が日本では非常に困難な状況なのです。

さて、7月からは日本からも新研修医がやってきます。充実した1年になるよう頑張ります。

山前浩一郎

Japanese garden

研修していたシェイディーサイド病院の中庭。よく見てください、桜が咲いていますし、灯籠もあります。そうなんです、私が研修していた病院の中庭は日本庭園なんです。

アメリカ便り15 米国臨床留学 家庭医療@ピッツバーグ大学

2014年8月14日 から Yamasaki.K | 0件のコメント

皆さんこんにちは。この頃から月一回の連載が崩れ出します…。
一気に2006年1月へ飛びんでしまいます。

 

アメリカだより15:指導医の採点 (2006年1月)


皆さん、こんにちは。ピッツバーグの山前です。

ちょっと遅くなりましたが明けましておめでとうございます。今年も皆さんと、みなさんのご家族が健康でありますよう祈っています。

アメリカではクリスマス休暇が1年で一番大切なホリデーで、新年は大して祝いません。日本人としてはお正月が一番大切ですので何か拍子抜けな感じです。

さて、今回はちょっと特殊な話です。つい先日私たち研修医全員で指導医の評価をしました。
指導医といっても2種類あります。一つはもちろん研修プログラムのスタッフ。皆ピッツバーグ大学の教員です。もう一つはプライベートアテンディングと言って、基本的には開業医の先生方で、大学病院に患者を入院できる代わりに私たち研修医の教育も義務づけられている先生達です。

毎年スタッフの評価は研修医もしているのですが、今回はプライベートアテンディングの評価を行いました。
目的としては、余り教育的でない先生達の患者さんをもう研修医が診療しないようにしようというものです。アテンディングにしてみれば教育しなくても良い代わりに、患者のケアを全て自分たちでしなければならないことになります。研修医といえども立派な戦力なのでこの差はかなり大きいはずです。

渡米する前はアメリカの医師は皆素晴らしく、教え好きな人ばかりと言った幻想を抱いていました。実際は理想とは多少違いました。
確かにほとんどの指導医は物知りで、研修医を大事にし、教育的です。中には聖人の様に献身的に患者さんを診療している医師もいます。しかもそういった医師は一人や二人ではありません。こんな医師に将来なれればいいなという目標になりうる人はごろごろいます。
しかし少数ではありますが、一緒に働きたくもない医師もいるのは残念ですが事実です。S先生は、電話口で一言も発しません。彼の患者さんを入院させたので、治療方針を話し合うために電話をしたのですが、何もしゃべらないのです。初めは自分のせいかと思いました。しかし誰に聞いてもそうらしいのです。おそらく彼の評価は最低でしょう。

研修医は評価され続けていますが、同時に上司を評価する。懐の広いアメリカ的な慣習だと感心しているところです。

それでは又次回お話ししましょう。

山前浩一郎

 

アメリカ便り14 米国臨床留学 家庭医療@ピッツバーグ大学

2014年8月13日 から Yamasaki.K | 0件のコメント

皆さんこんにちは。
院長がなぜ老年医学の道に進むことになったのか、きっかけとなる研修を受けた後のエッセイです。

 

アメリカだより14:魅せられた老年科(2005年9月)

 

皆さん、こんにちは。ピッツバーグの山前です。

今回はつい先日まで研修していた老年科について話したいと思います。
まず、皆さん老年科って余り馴染みがないと思いますがいかがでしょうか?老年科は内科もしくは家庭医療の研修を終了した医師が更に学ぶことの出来る専門分野です。日本では大学病院で老年科が標榜されているところは数えるくらいしかないと思いますし、地域の病院や開業医が老年科を謳っていることは非常に希でしょう。
アメリカでも老年科は新しい科でまだ30年程しか歴史がありません。老年科の先駆者達はイギリスで学んだそうです。

さて、そんな若い老年科は何を目指しているのか。それは人生の質を向上させる、その一点にあります。
決して寿命を延ばすのが目的ではありません。年齢を重ねるに連れ、患う疾病も増えてきます。当然色々な専門医を受診し必要な薬も増えます。また、自然と各臓器の機能が低下してくるために若い人には起こらない問題も起きます。記憶力の低下は自分で金銭の管理が出来なくなりますし、下肢の筋力の低下は歩行を困難にし、買い物が出来なくなり体重が減少してしまうかもしれません。すると骨粗鬆症が進行し、骨折により寝たきりになることもあります。
このように高齢に伴う問題は数多くあります。そのような医学的にも社会的にも一人の患者さんをサポートするのが老年科の医師です。この発想は家庭医療的で私は大好きです。

さて、その老年科の診察がまた素晴らしい。再診の方は一人30分。初診の方はなんと60分かけて診察します。毎回頭の先からつま先までくまなく診察するのはもちろんのこと、健康面、家庭のこと、趣味のことなどありとあらゆる事を話すのです。また、初診時はもちろん、必要があれば医師以外にソーシャルワーカーが面接します。
これだけしっかりとしたケアを提供出来るのはやはりアメリカならではなのでしょう。残念ながら日本では無理かもしれません。1日10人の患者さんを診察するだけで経営が成り立つようにするのは至難の業です。

老年科の部長が言っていました。日本は世界でもっとも高齢化が進んでいる国なので、我々(アメリカ)の未来がそこにある、と。そんな日本で世界に誇れる老年科が確立する事を祈っています。

山前浩一郎

 

アメリカ便り13 米国臨床留学 家庭医療@ピッツバーグ大学

2014年8月12日 から Yamasaki.K | 0件のコメント

アメリカだより13:病棟リーダーとなった2年目(2005年8月)

 

皆さん、こんにちは。ピッツバーグの山前です。

先週の土曜日に初めての研修医2年目としての入院チーム研修が終わりました。
1年目のインターンと違いかなり忙しく感じた4週間でした。2年目の研修医は1年目を監督する立場にあり、彼らのカルテを毎日チェックし、患者さんの状態について毎日議論し、教育しなければなりません。
その他にも病院に入院してくる家庭医療科の患者さん全ての初期管理をしなければならないので1年目の方が遙かに気楽でした。そんな短いようで長い4週間の締めとして土曜に当直がありました。

一日中ポケベルが鳴りまくり壊したくなる衝動に何度駆られたか分からないくらいに忙しい日でした。そんな中、昨日ICUから一般病棟に戻ってきたばかりのBさんのご家族が病状を聞かせてもらいたいと担当看護師からポケベルで呼び出されたのです。
Bさんは88歳のとても感じの良い女性。元々糖尿病を患い、少し認知症があります。今回息苦しさで入院してきました。調べてみると広範囲の急性心筋梗塞が見つかったのです。糖尿病を長く患っていたために胸痛がなかったのでしょう。入院翌日に急激な血圧低下と酸素飽和度低下のため、ICUに運ばれました。
このときご家族は出来ることは全てして欲しいというご希望でした。しかし高齢であるため侵襲的な治療をせず薬だけで治療すると循環器科が判断したため、血圧を維持するドーパミンを点滴しながら家庭医療の病棟に戻って来たのです。

直接の主治医ではなかったのですが、カルテを読み状況を把握しご家族との話し合いに望みました。
かなりの重症であったこと、今後起こるであろう事をあらかじめICUで医療倫理チームから説明されていたご家族は、当初の方針は変更し、挿管、心臓マッサージはしないことですでに意見が一致していたのです。
しかし、フロリダから飛んできた長女を待ってもう一度家族との話し合いを求めてきたわけです。

私はBさんのこれまでの経過のまとめと今後の治療の選択肢を説明しました。
長女は涙ながらに教えてくれました。Bさんがまだ元気だった時家族で行われた話し合いのこと。自然に任せて自分の死を神の手に委ねたいと語っていたこと。こうした話し合いは何年にも渡って何度も何度も繰り返されたこと。自分たちはさよならを言う準備が出来たこと。
元々涙もろい私は思わず目頭が熱くなりました。その間何度もポケベルが鳴りましたが、1時間以上に渡りこの話し合いは続けられました。

そしてその夜私はBさんのドーパミンを止めました。苦痛を緩和する治療以外は自然に任せる方針になったからです。
血圧は下がり危険な状態は続きましたが、この話し合いの結果を医療倫理チームに報告し、彼らはBさんにホスピスを準備したのです。

米国では多くのご老人が自分の死について明確な意見をお持ちです。ご家族、医師らはそうした意見を一番に尊重しますが、時にはとてもつらい選択をしなければなりません。研修終了と同時にほとんどの研修医が開業するこの国では研修医の患者への責任が学年ごとに増していき、来るべき実社会に備えるのです。


山前浩一郎

 

 

アメリカ便り12 米国臨床留学 家庭医療@ピッツバーグ大学

2014年8月11日 から Yamasaki.K | 0件のコメント

皆さんこんにちは。とうとうアメリカ便り、1年分の掲載完了です。
まだまだ続くのでお付き合い下さいね!

 

アメリカだより12:1年を振り返って(2005年7月)

 

皆さん、こんにちは。ピッツバーグの山前です。早いもので私がこの地に着いてから1年以上が過ぎました。今回は渡米一年を振り返って感じたことを述べてみようと思います。

英語と格闘しながら医療システムの違う米国での研修は想像通り苦労の連続でした。
しかし、それにも関わらずこうして研修を続けていられるのは研修を通じて自分が成長しているのが実感できているからかもしれません。
アメリカでの研修は常に患者にとってベストな治療は何かをたたき込まれることと言っても過言ではないと思います。特に私が研修している家庭医療は患者志向の強い科ですので患者さん一人一人の生活環境や経済的背景を常に頭に入れながら治療を選択していきます。このような思考過程は日本の研修では得られませんでしたし、おそらく研修医の段階でここまで教育されることは不可能でしょう。

皆さんにとって比較的馴染みの深い抗生物質の使用に関しても常に根拠と費用を念頭に置いています。日本で行った研修に欠けていた何かを今埋め合わせている、そんな充実感を味わっています。昨年まではアメリカ方式の研修について行くのが精一杯でしたが、今年は自分の将来を考えながら行動しようと考えています。研修後は日本に帰国し地域医療へ貢献しようと考えていますが、当然、現在行っている研修を何らかの形で生かせるようアイディアを練るつもりです。幸い新八柱台病院(帰国後勤務予定であった今はなき素敵な病院)は地域に根ざした極めて良質な医療を提供する病院です。ここでなら何か出来るに違いないと確信しています。

奇しくも2年目最初のローテーションは再び産科でした。昨年と違い患者さんへのサポートはかなり出来た自信があります。取り上げた赤ん坊も30人を数えました。
そして、新たなインターンが世界中から集まってきました。これからは教育される立場から教育する立場となります。患者さんへの責任も当然のように増大します。これまでと違うチャレンジが続きますが、恵まれた環境の中、楽しみながら自己研鑽していこうと思っています。


山前浩一郎

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毎年7月にピッツバーグでは全米唯一の公道レースが開催されます。形成外科のシュバルツ先生はポルシェ356で参戦。応援に行きました。

アメリカ便り11 米国臨床留学 家庭医療@ピッツバーグ大学

2014年8月10日 から Yamasaki.K | 0件のコメント

アメリカだより11:病院外の連携(2005年6月)

 

皆さん、こんにちは。ピッツバーグの山前です。

今回は少し変わった、しかしとても為になる研修をしたのでお話しします。
研修は病院外の様々な施設を訪問し、患者さんがどのようなサービスを受けているか自分で確かめるものでした。

それらの施設には高齢者のためのデイケア、自宅で治療を続ける方のためのホームケア、在宅ホスピスなど日本でも目にするものから、エイズタスクフォースと言って経済的に苦しいエイズ患者さんに無料で薬を提供することから始まり、仕事の斡旋、エイズの予防のための教育活動など考えられる全てのサービスを行っている米国ならではの施設もありました。
暴行の被害にあった女性を専門にケアする施設は24時間、365日いつでも担当者と連絡が取れるようになっていましたし、経済的に子供に十分な食事を与えることが難しい家庭に無料で食料を提供するサービス、地域のホームレスの人々をいかに自立させるか検討する教会のグループ、肉親を失った子供の心のケアを無料で行っている施設など普段外来をしている時には目にすることが出来ない多くのサービスに直接触れることが出来たのです。

おそらく、日本でも同じようなサービスを受けることは出来るのかもしれません。しかし8年余り日本で働いていたにも関わらず、こういった病院外のサービスに関しては全く無知であった自分に反省すると共に、本来であれば受けられるサービスを受けていない方々が日本には多く存在しているのではないかという危惧を抱きました。
私が現在勤務している家庭医療センターにはこういった施設、サービスのパンフレットが患者さんの目にとまりやすい所に置いてありますし、ソーシャルワーカーに皆気軽に相談しています。中には、給料日が来週で今週はお金がないから抗生物質を無料で提供してくれといってくる方もいます。来週支払えばいいのにと心では思いながら、出来るだけ希望に添うようにするのですが、手厚いサービスに依存してしまう人がかなりいるのも事実です。

研修を通じて痛感したのは、日本でも医療機関以外で行われているサービスがもっと一般の人々に認知されなければならないということでした。これは帰国後の一つの課題となるでしょう。来月は渡米して一年経ち感じることを述べてみようと思います。


山前浩一郎

 

 

アメリカ便り10 米国臨床留学 家庭医療@ピッツバーグ大学

2014年8月9日 から Yamasaki.K | 0件のコメント

アメリカだより10:コメディカルとの協力(2005年4月)

 

皆さん、こんにちは。ピッツバーグの山前です。

今回は医師以外の充実したスタッフについてお話しします。
現在はインターンとして最後の入院チームで研修をしています。患者さんの入院期間は日本と比べると驚くほど短く平均で約3-4日です。一週間も入院しているとよほど重病かと思われます。この短い入院を可能にしているのは医師と共に患者さんをケアしている多くのコメディカルのおかげです。

まずはなんと言っても看護師さん。とても頼りになるのは日米同じです。
看護師さんの下には看護助手さん達が働いています。
それ以外に欠かせないのはソーシャルワーカーです。1病棟患者さん約30人につき2人おり、全入院患者さんの退院プランを入院時から作成してくれます。ホームケアが必要であったり、看護師の在宅派遣、在宅採血、在宅酸素、在宅リハビリ、在宅点滴、リハビリ病院・老人ホームへの転送など何でも頼んでいます。彼女たちのおかげでスムースに退院が進みます。
さらには、栄養管理チーム、呼吸管理チーム、PT/OT、心肺リハビリ、採血・血管確保チームと言った専門職が数多く存在するおかげで私たち医師は自分で手を動かすことなく、頭で治療計画を立てるだけで事が運んでしまうと言う何とも恵まれた環境がここ米国にはあります。何でも任せてしまうので、自分で採血が出来なかったり、血管確保が出来ない医師が数多くいるのは見逃せない弊害でしょう。私の病院のように大学病院はスタッフが充実していますが、田舎の病院だと事情は違うかもしれません。

又、研修医が雑用をせずにトレーニングに専念していられるのはPA(フィジシャンアシスタント)と呼ばれる医師補助職のおかげでもあります。私たちは教育カンファランスを受ける事を強く望まれていますし、午前中に自分の患者さんの診察、カルテ書きを終わらせなければなりません。その間入院があった場合、PAの人たちが私たちの代わりに患者さんの入院オーダーを指示してくれます。彼らはプロの研修医なのです。
日本に導入したら医師不足が叫ばれることもなくなるのではないかと思われるシステムがこちらには沢山あります。ただし難点は人件費がかかりすぎることでしょう。アメリカの病院に一日入院すると何もしなくても30万円以上費用がかかってしまうのです!!

理想の医療を実現するのは難しいですね。次回はちょっと変わったローテーションなので来月はそのお話しをしましょう。


山前浩一郎

 

アメリカ便り9 米国臨床留学 家庭医療@ピッツバーグ大学

2014年8月8日 から Yamasaki.K | 0件のコメント

アメリカだより9:ALSOトレーニング(2005年3月)

 

皆さん、こんにちは。ピッツバーグの山前です。

忙しかったICUの次は又入院チームでした。今回はその間に行われたALSO(妊婦の救命処置)の講習会についてお話しします。

私たち家庭医はACLS(心肺救命処置)、NALS(新生児救命処置)、PALS(小児救命処置)とこのALSOの認定を受ける必要があります。ACLSとNALSはすでに取得していましたが、丁度私の病院でALSOの講習会が開かれましたので3日間に渡り参加してきました。
たとえ入院チームに所属していてもその講習会に参加することは奨励され、私の不在時には先輩が代わりに私の患者さん達をフォローしてくれるところがアメリカらしいところです。なんと入院チームにいた3人のインターン全員が参加したのです!こんな事は日本では考えられません。

さて、ALSOの講習会そのものは素晴らしいものでした。妊婦さんに起こりうる合併症全てに対する対処、ノンストレス試験の読み方、超音波検査の方法、吸引分娩、鉗子分娩、肩甲難産の対処法など講義、ディスカッションと実技を交えて勉強していきます。
最終日にはメガコードと呼ばれる実技試験があります。受講生一人一人が試験場に入り、妊婦の人形を使ってあらかじめ決められたストーリーに従って無事赤ちゃんを取り出し、母親の病態にも対処するというものです。
まずは、分娩が長引いている妊婦さんに対して吸引分娩を行いましたが、肩甲難産のため様々な方法を用いてやっと分娩に成功したと思いきや、今度は母親から出血が止まらない、と言った内容でした。どれもこれもそれほど頻度は高くないですが、実際に遭遇するものばかりで、そろそろ産婦人科を忘れかけていた私にとって大変為になりました。実技の後はペーパーテストで基本的な事柄を問われます。何とか両方のテストに合格したためALSOの資格を得ることが出来ました。5月にはPALSを受講してきます。

そろそろ一年目の研修医も研修生活に慣れ、来年の新研修医も決まりました。2人の日本人が面接に来ていましたが、残念ながら私の病院には来ないようです。ただ、同僚の研修医の奥さんが来年から研修することになったので同級生皆で喜んでいます。それでは又来月お話ししましょう。

山前浩一郎

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ピッツバーグのへんてこな信号機

アメリカ便り8 米国臨床留学 家庭医療@ピッツバーグ大学

2014年8月7日 から Yamasaki.K | 0件のコメント

アメリカだより8:ICUは人生劇場(2005年1月)

 

皆さん、こんにちは。ピッツバーグの山前です。

楽しかったホリデーシーズンが過ぎ、とうとう巡ってきました、ICUが。
ICUは集中治療室の頭文字を取ったもので、病院中の一番重症な患者さんが転送されてきます。その患者さんたちを一手に引き受けているのが8人のICUのレジデントです。一年目のインターン(僕がそうです)と2年目もしくは3年目のレジデントが1人ずつ組み、全部で4組のチームで構成されており、毎日順番に当直をしていきます。自分の当直日にICUに運ばれた患者さんをその後も継続して治療しますので、当直の日はドキドキです。沢山入院してしまうと、翌日からものすごく忙しくなってしまうので、ボケベルが鳴らないことを皆祈っています。

コンディションC(急に意識レベルが低下したり、酸素飽和度が低下した状態)やコンディションA(心停止、呼吸停止)が館内放送されると当直チームは走って現場に向かい、その患者さんをICUに転送します。4チームで構成されているので当直は4日に一度、さらに当直の前日が休みなので4日に一度は完全にフリーになるのですが、当直の日は本当に眠れませんでした。
中には1日で11人もICUに入院になりぶつぶつ文句を言っている研修医もいましたが、気持ちはよく分かります。当然重症患者さんが多い分お亡くなりになる方も多いのですが、日本との死に対する温度差を感じることも多々ありました。

心肺停止の状態でヘリコプターで転送されてきた64才の男性は脳波検査で無酸素脳症と診断されました。それはつまり不可逆的なダメージが脳に残り、回復の見込みは無いことを意味します。ICUの医師達は脳波の結果が出ると早々に家族を呼び、回復の見込みがないため今積極的にしている治療を中止し、痛み止めだけの治療に変えるよう薦めます。もちろんそうすることによって数日以内に患者さんは亡くなることは分かっています。患者さんの家族にしてみれば数日前まで元気にしていた人が急変して気持ちの整理も出来ていないので何とか延命するように我々に頼みますが、僕には家族の気持ちがよく分かりました。
日本では心臓が動いている間は何とか延命させようと努力することが多いと思います。回診の後、個人的に家族と話しをしました。家族がどれほどその患者さんを愛し、大切にしているかが痛いほど伝わってきました。
結局私は上司と話し合いその患者さんには出来るだけの治療を続ける方針としたのです。3週間に渡るICUでの治療の甲斐があり、その患者さんは意識は戻らなかったものの一般病棟に移ることが出来ました。

日米の死生観の違いを感じつつも日々の業務に忙殺された一ヶ月でした。それでは皆さんまた来月お話ししましょう。

山前浩一郎